2016年11月20日日曜日

塩飽史談会研修2016秋・・・・・行ってきました

秋も深まり、塩飽史談会の秋の研修旅行に

参加しました。今回は岡山地区の

塩飽大工建造物めぐりでした。

特に備中地方には塩飽大工が

多く、活躍し現存のものも多くあります。

特に、彫刻の優れたものがあります。

今日は備中国分寺五重塔、吉備津神社

宝福寺、足守八幡宮などを回りました。

写真では見ていましたが、実物はすばらしいものでした。

季節がら、どこも紅葉が綺麗でした。



                吉備津神社
             
                今日は七五三で親子づれが

                多く参拝していました



 
 
 
 
足守八幡宮の
 
彫刻
 
一見の価値あり

 
 
 
宝福寺
 
紅葉が最高

2 件のコメント:

  1. 研修会ではお世話になりました。弘泉寺の位牌は三男の系統ではないでしょうか。
     宮本伝太夫道意の跡目は、長男が真木又左衛門の跡を継ぎ、次男も入江四郎左衛門の跡を継いだので、結局、三男の宮本半右衛門宗満が相続しました。「塩飽海賊史」
     伝太夫(道意)→半右衛門(宗満)→伝左衛門(清伝)→伝左衛門(幸閑)→伝太夫(幸年・浄専)→伝太夫(浄言)→伝太夫(宗義)→伝太夫(宥照)→伝太夫(良善)→伝太夫(幸通)

    <瀬居島事件>「塩飽史」
     寛政4年(1792)7月12日、宮本家何代目か不明であるが当時の伝太夫は250年続いた年寄職を追放され、家を潰し失意のどん底にあった。(寛政の島治大改革)
     この年瀬居島では麦が不作で古来年貢を納めてきた島開発の発起人宮本伝太夫に交渉を持ち掛けようとしたが、伝え聞いた伝太夫が激怒し瀬居島に乗り込み交渉の場で興奮の余り抜刀して住民2名に重傷を負わせた。この事を大坂奉行所に訴えられ、結果、和議となり吉祥院が仲裁に入り、島民に有利な年貢の改善となった。

     この時の伝太夫が幸通だったのではないでしょうか。

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  2. 鐡五郎さんのお話とは直接関係していないは思いますが誰かお教えいただきたくお願い申し上げます。
    宮本家の追放後も塩飽に残っている親族はいらっしゃるのでしょうか。
    私の手元には天保11年宮本善右衛門正実の81歳6代目の肖像画(画家は備中玉島の岡本綾江で讃岐高松の黒田綾山の弟子)と家訓が書かれた掛軸が手元にあります。この宮本善右衛門が塩飽の人も分かりません。香川県史の近世2には小坂騒動で年寄下役の宮本善右衛門が仲裁のため寺の住僧を派遣したとあります。この宮本善右衛門正質なる人物は年寄職であった一族の人でしょうか。
    この宮本善右衛門6代目は違うかも知れませんが、何卒御教示ください。滝澤より

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