2013年1月12日土曜日

塩飽大工の技術

塩飽は水軍、廻船で活躍し、大いに

繁栄しましたが、江戸時代中期ごろから

それも衰えはじめ、仕事を失った船大工達は

陸にあがって家大工、そして堂宮大工へと

転進していった。江戸中期から明治、大正、昭和初期

まで塩飽大工衆としてその名を轟かした。


三所神社本殿

小さいがなかなか見事な彫刻です



軒を支える「持ち送り」



正覚院玄関上にある
見事な彫刻

「橘貫五郎」作
と言われる



古民家の屋根裏




塩飽工業学校(塩飽大工学校より校名変更

後の多度津工業高校へ)

大正3年度卒業記念





橘貫五郎の資料調査



岡山、香川県内に多くの

神社仏閣を建てた塩飽大工

ですが、わからない事が

いっぱいです。建築はまったくの素人だし

勉強中です。

0 件のコメント:

コメントを投稿