塩飽は水軍、廻船で活躍し、大いに
繁栄しましたが、江戸時代中期ごろから
それも衰えはじめ、仕事を失った船大工達は
陸にあがって家大工、そして堂宮大工へと
転進していった。江戸中期から明治、大正、昭和初期
まで塩飽大工衆としてその名を轟かした。
三所神社本殿
小さいがなかなか見事な彫刻です
軒を支える「持ち送り」
正覚院玄関上にある
見事な彫刻
「橘貫五郎」作
と言われる
古民家の屋根裏
塩飽工業学校(塩飽大工学校より校名変更
後の多度津工業高校へ)
大正3年度卒業記念
橘貫五郎の資料調査
岡山、香川県内に多くの
神社仏閣を建てた塩飽大工
ですが、わからない事が
いっぱいです。建築はまったくの素人だし
勉強中です。
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