島歩き 瀬戸内海備讃瀬戸の中心 塩飽大工の里 咸臨丸そして人名の島, 遊歩百選に選ばれた景観と歴史・文化の島を歩いてみよう 安徳天皇の伝説もあります。
正徳3年(1713)の記録によると
宝性寺東西16間、十輪寺45間、覚城坊21間と
なっています。
合わせると約146mとなり、なんとか収まりそうな
感じがしますが・・・
宝性寺は現在より小さかったのか?。
十輪寺が約81mで結構大きかったようです。
十輪寺の南北が21mと狭く、もしかしたら
その上にあったのか?記録では、すでに
寺跡のみで、十輪寺の兼帯となっています。
金光寺の東端の石垣は藪中に見えています。
わからん??
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